「信じる者は義とされる」  06.02.19
                  使徒言行録13:13〜41

 「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」
(一テサロニケ5章)と言われますが、そのような生き方は簡単なことでは
ありません。
 この世の生活を送る中で、様々な困難に直面します。そんな時には、
神さまへの信頼よりも、救いを疑い不安に心を奪われることがあるからです。
 しかし、自分が神さまに義とされていることを本当に信じることができる
ならば、どんな時にも安心し、信頼して、喜び、感謝して生きていくことが
できるでしょう。

 「兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、
…、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。」(38〜39節)と、
聖書は力を込めて語りかけてきます。
 イエスさまを信じることで、神さまに対する深い信頼を持って生きていく
ことが可能になった。それを知って欲しい!この恵みを信じて欲しい!と、
聖書は私たちに訴えてきます。

 パウロは、神さまにふさわしい人間になろうと一生懸命努力をした人
でした。ところが、どんなに努力しても、神さまに従いきれない罪を抱えて
いる自分から抜け出せませんでした。真面目に考えれば考えるほど、
神さまに対して不十分な自分に気付くのです。「わたしはなんと惨めな
人間なのでしょう」(ローマ7章)と絶望の思いになりました。
 そんなパウロは、イエスさまに出会って、目からうろこが落ちたのです。
 自分で努力しても神さまにふさわしい立派な人になることはできない。
 しかし、この神の独り子が十字架にかかって死んでくださったことで、
罪を取り除いて、義としてくださった。神の独り子が罪を取り除いて義と
してくださったのだから、もうどんなことがあっても神さまに信頼して、
安心して生きていける。守られないかも、救われないかも、などと疑う
必要はない。それをどうしても知って欲しい、とパウロは訴えます。

 イスラエルの歴史を貫いていた、民の罪を赦しつつなお導き続ける
神の働きかけは、今、私たちにも向けられます。
 イエスさまの十字架がそれを保障します。